ダルビッシュ有が1軍半の選手になり下がらなかった理由【トレーニングを始めた原点】

uダルビッシュ有が8勝3敗、防御率2.01の好成績で日本人初の最多勝に輝き、サイ・ヤング賞受賞の最終候補者3人に選ばれました。

DVDレコーダーを整理していたら、以前録画した目に留まった映像・・・ダルビッシュを見るとよく思い出してしまうエピソードがあるので、是非ご紹介したいと思います。

トミー・ジョン手術を行い、2年間のブランク後に復帰したオフシーズンの2016年10月のGet Sports(テレビ朝日で日曜深夜に放送)の稲葉篤紀とのインタビューです。

日本ハム時代からの「トレーニングを始めた原点」について

 

稲葉:「そういう考え方(肉体改造や栄養や食事のとり方への取組など)になったのって、どういうのがきっかけだったんですか」

ダル:「(プロ)2年目にヤクルト戦があって、自分、投げてたんですけど肩の状態があんまりよくなくて、最後はラロッカかギグスか忘れたんですけど、ホームラン打たれて・・・」

2006年6月13日ヤクルト戦 プロ2年目のダルビッシュはこの年、開幕から先発ローテンションの一角を任され4勝5敗。この日は4回を終え、4失点を喫していた。そして、むかえた5回裏、ラロッカに2ランホームランを浴び、5回途中、6失点で降板した。

ダル:「こりゃ、しゃあないなと。そのあと肩痛ったとか、いつものように言い訳を多分してた。それで、東京ドームホテル帰って、こりゃ、ダメだな。このままじゃ俺ほんと、1軍半とか2軍の選手になっちゃう、と思って、何か変えなきゃいけないなと思って、からです。
そんで今までの人生、約20年だったんでその時がこれ、20年一瞬だったから、40歳も一瞬じゃん、と思って・・したら、これ、僕の考え方なんですけど、自分40歳になってクビになって何も仕事が無い状態になろうと思って、頭の中で・・なって、自分の前に神様があらわれて「1回だけチャンスあげるから20歳の時に戻っていいよ」って言われたらみんな戻って絶対努力するじゃないですか。それで今、戻ってきた。東京ドームホテルに、っていうことにしようと思って。すごいやんなきゃヤバイ、やんないとまた同じことになる、って思いこんで。それで次の日にちょうどサプリメント会社の人が神宮球場に来てて、パンフレットください、って言っていろいろ教えてもらって。そっからです。全部。」

これを境に気持ちを改めたダルビッシュ。練習への取り組み方を変え、栄養学やトレーニングの勉強もこの頃に始めたという。
結局、プロ2年目のシーズンは、12勝5敗(防御率2.89)と初めての2桁勝利
さらに日本シリーズでも勝利をあげ、球団史上44年ぶりの日本一にも貢献。飛躍の年になった。

ダル:「で、その時の神宮球場でのMAXが144㎞/hで中日との日本シリーズの時に153㎞/hが出た。成功体験がそこにあるので、「このままでいいんだ」と思ってずっとそのまま勉強してきた。」

 

この20歳のときに、40歳の仕事のない状態を仮定して、自ら危機感を煽るという方法が斬新で面白いですね。
モチベーションももらえる映像で何回も見てしまうんですね。

他にもイチローとのトレーニング理論との違いにも触れているので、興味がある方は、YouTubeに映像があったら、見てみてください。