東京地方最低賃金審議会の答申により、東京都の最低賃金は現行1,226円から54円引き上げられて時給1,280円となる見通しです。改定額としては過去最大級で、時給者だけでなく月給者の賃金設計、とりわけ固定残業代(みなし残業代)を組み込んでいる中途採用の賃金決定に大きな影響を与えます。
「基本給+固定残業代」で提示するスタイルは、いまや中途採用では一般的です。しかしこの固定残業代こそ、最低賃金改定のたびに最も見落とされる盲点でもあります。本記事では、月給者への最低賃金の考え方を整理したうえで、固定残業代まわりの実務上の注意点を重点的に解説します。
1. 月給者にも最低賃金は適用される
まず前提として、最低賃金は時給者だけのルールではありません。月給者・日給者・歩合給者にも例外なく適用されます。
月給者の場合は、月給を「1時間あたりの金額」に換算し、その額が最低賃金額(東京なら1,280円)を下回っていないかを確認する必要があります。
- 時間あたり賃金 = 月給(対象となる賃金)÷ 1か月平均所定労働時間
- 1か月平均所定労働時間 =(年間所定労働日数 × 1日の所定労働時間)÷ 12
たとえば年間休日120日・1日8時間勤務の会社であれば、1か月平均所定労働時間は約163.3時間です。この場合、時給1,280円を下回らないためには、月給ベースで約209,000円以上が必要になります。年間休日が125日なら約205,000円、110日なら約217,000円と、会社の労働時間制度によって「最低ライン」は変動します。
2. 最低賃金の計算に「入れてよい賃金」「入れられない賃金」
ここが実務で最もつまずきやすいポイントです。月給の額面すべてが最低賃金の計算対象になるわけではありません。
計算に算入できない賃金は次のとおりです。
- 精皆勤手当、通勤手当、家族手当
- 臨時に支払われる賃金(結婚手当など)
- 1か月を超える期間ごとに支払われる賃金(賞与など)
- 時間外・休日・深夜の割増賃金(固定残業代を含む)
つまり、月給30万円と聞くと余裕がありそうに見えても、通勤手当が2万円、家族手当が2万円、固定残業代が5万円…と差し引いていくと、最低賃金の判定に使える賃金は21万円ということもあり得ます。
中途採用の月給を決めるときは、「額面総額」ではなく「最低賃金判定に使える部分」で時給換算するという視点を必ず持ってください。
3. 【最重要】固定残業代は最低賃金の計算に入らない
ここからが本題です。中途採用の求人票でよく見る、
- 「月給30万円(固定残業代5万円/30時間分含む)」
- 「基本給25万円+みなし残業手当5万円」
このような表示のとき、最低賃金の判定に使えるのは「基本給25万円」の部分のみです。固定残業代は名前のとおり「時間外労働に対する割増賃金の前払い」なので、最低賃金の計算からは除外されます。
ここで起きがちな事故が次のパターンです。
【よくある失敗例】
- 求人票:月給28万円(うち固定残業代6万円/40時間分)
- 会社の1か月平均所定労働時間:170時間
- 基本給:22万円
- 時給換算:220,000円 ÷ 170時間 = 約1,294円
現行1,226円ならクリアしていますが、1,280円になるとほぼギリギリです。さらに年間休日を1日でも増やせば、あっという間に最低賃金割れに転落します。「額面28万円もあるのだから大丈夫だろう」という感覚が、そのまま違法状態を招くわけです。
4. 固定残業代が「割増賃金として足りているか」も別問題
固定残業代には、2段階のチェックが必要です。
- ① 基本給部分だけで最低賃金を満たしているか
- ② 固定残業代が、想定する残業時間分の割増賃金として不足していないか
②が意外と盲点です。最低賃金が上がると、割増賃金の単価も自動的に上がります。過去の求人票の固定残業額を使い回していると、実態として「固定残業代が想定時間分の割増賃金額に届かない」状態になりやすく、未払い残業代リスクに直結します。
【計算例:東京・1,280円・年間休日120日・8時間勤務の会社】
- 1か月平均所定労働時間:約163.3時間
- 基本給の最低ライン:1,280円 × 163.3時間 = 約209,000円
- 割増単価(1.25倍):1,280円 × 1.25 = 1,600円
- 固定残業代30時間分の必要額:1,600円 × 30時間 = 48,000円
つまり「基本給209,000円+固定残業代48,000円(30時間分)」が最低ラインです。過去に「基本給20万円+固定残業代4万円(30時間)」で募集していた求人をそのまま流用すると、基本給・固定残業代の両方で不足という二重の違法状態になり得ます。
5. 固定残業時間を超えた分の「追加割増」も忘れずに
もう一つの盲点が、固定残業時間を超えて残業させた場合の追加支払いです。固定残業代はあくまで「一定時間分の前払い」なので、それを超えた時間については別途、割増賃金を追加で支払う必要があります。
最低賃金が上がれば、この「追加分の単価」も自動で上がります。給与計算ソフトの単価マスタや、Excelでの手計算式が旧単価のままになっていないか、改定のタイミングで必ず確認してください。
6. 中途採用で固定残業代トラブルが起きやすい3つの理由
① 求人票の金額をそのまま契約書に転記してしまう
求人票作成時点と入社時点で最低賃金が異なることがあります。改定は毎年10月前後です。春〜夏に募集をかけて秋以降に入社という流れでは、入社日基準での再チェックが必須です。
② 前職の給与提示に引っ張られる
「前職が月給25万円(固定残業込み)だったから、うちも同額で」という決め方は危険です。前職と自社で所定労働時間や固定残業時間の設計が異なれば、時給換算は簡単にずれます。
③ 個別交渉で手当構成が既存社員と異なる
中途採用は個別条件になりやすく、基本給を抑えて固定残業代を厚くするケースが目立ちます。しかし固定残業代は最低賃金判定から除外されるため、基本給を圧縮するほど最低賃金割れのリスクが高まるという構造になっています。
7. 改定前にやるべき実務チェックリスト
東京都で1,280円が施行される前に、次の項目を確認しておきましょう。
- ① 自社の1か月平均所定労働時間を計算する
- ② 基本給の下限ラインを再計算する(1,280円 × 平均所定労働時間)
- ③ 固定残業代の時間数と単価を再計算する(新しい割増単価で足りているか)
- ④ 固定残業を超えた分の追加割増単価をシステム/給与計算式に反映する
- ⑤ 全社員の「基本給のみ」での時給換算を洗い出す(試用期間中の者を含む)
- ⑥ 求人票・労働条件通知書・雇用契約書のひな型を更
まとめ
東京の最低賃金1,280円への引き上げは、時給者だけの問題ではありません。特に中途採用で多用される「基本給+固定残業代」型の月給設計では、次の3点が最大の盲点になります。
- 固定残業代は最低賃金の計算に含められない(基本給だけで下限を満たす必要あり)
- 最低賃金が上がると、固定残業代の必要額も自動で上がる
- 固定残業時間を超えた分の追加割増単価も改定に合わせて更新が必要
改定は毎年繰り返されますが、上げ幅が大きい年ほど、既存の賃金テーブルと固定残業代設計の歪みが一気に表面化します。額面ではなく「基本給」と「割増単価」の2軸で棚卸しすることが、中途採用と既存社員の双方を守る近道です。
